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大阪梅田ケントスその1

待っていたオープン

 最初から、ややオーバーな表現ながら、大阪・梅田ケントスは、「我が心のオールディーズライブハウス」です。気分むしゃくしゃしていた日でも、ここに来ると何かしら、ほっとすると言いますか、やすらぎを覚えました。また、旅先から帰ってきた時、店直行も度々ありましたが、「あー、大阪に帰ってきたなあ〜」と実感していました。

 このようなことから、私の大阪時代、約500回は通ったと思います。この店は、1987年3月27日にオープンしましたが、そのことを宣伝で知ったのは、大阪・南ケントスの卓上カードからでした。

 その前に、南ケントスへは、1986年春か夏頃から通いはじめていました。当時私が住んでいた池田市から、そう距離は遠くないものの南ケントスへは、阪急電車・地下鉄を乗り継がなければ行けませんでした。それで、いつも最終電車が気になり、「あー、ステージも気分も、エエとこやのになあ〜」と思って、店を出ていました。

 そんなこともあり、当時「難波にあるのだから、梅田にもあればなあ。阪急石橋駅は急行も特急も止まるし、梅田に店が出来れば、12時近くまで演奏を聴いても最終電車に乗れるから、便利なのになあ」と幾度となく、思っていました。丁度そんな時、この「梅田ケントス店オープン予定」のカードをみつけ、「これは、エエわあ。遅くまで聴けるなるなあ」と思いました。


 開店日は、数ヶ月前から手帳の予定表に「北ケントスオープン日」と書き込んでいました。(大阪梅田ケントスは、オープン当初からしばらくの間は、「大阪・北ケントス」と呼称していました。また、ひとつの都道府県に2店誕生は、ここ大阪が始めてで、東京より早かったです)

 あいにく、3月27日は、豊中で会議が入ってしまいました。しかし、会議中も「今日、オープンか。もうステージ始まっている頃やろなあ。南店よりは、店広いかなあ・・・」と気がそぞろでした。次の日の3月28日、4人(同僚及びその彼女達)で出かけました。

 阪急3番街にある紀伊国屋書店で待ち合わせ、「今日は、後で新しくオープンした店に行こう」「楽しみやわね」など言いながら、まずは、イタリア料理などで腹ごしらえして、旭ビルに向かいました。

 全国の店で見慣れていたものの店の前にある黄色のロゴマーク入りの看板が、何かしら輝いて見えました。ガラスの玄関ドアもピカピカで、少し外で待っている間、中を観察(笑い)すると、正面が会計、右側にグッズを展示するガラスケースが見えました。

 T店長の「4人様お待たせしました」の掛け声で、中に通され、座ったのが黒いソファー席でした。当然と言えばとうぜんですが、全てが新品で、金色の手すりも思わず触りたくなる感じでした。

 演奏終了後のざわつきも収まりかけた頃、飲み物やフードの注文をしながら、「何もかも新しいわねえ」「綺麗やねえ」などの会話が出ていました。

 また、ハウスバンド『ファンキーズ』の方も、始めて見るメンバーばかりで、年齢の高い人以外、多くが20歳前半くらいに見えました。演奏後の喉を潤すために、カウンターへ飲み物を足早で取りに行かれ、通路で顔が合えば軽く会釈されていました。(この『ファンキーズ』のことについては、他のページに書く予定です)

 お客さんが多いのと、女性連れだったと言うこともあり、この日2ステージ聴いた後、早目に会計を済ませ、外に出ました。ほろ酔いきげんの私には、春夜の冷気はいいものの、まだ、外には今から入るグループが立っていました。(記:2002年4月17日)

上野注1: この大阪・梅田ケントスのページについては、その1、その2みたいにして、分けて、また、連続して掲載したいと考えています。今後当分続きますので、ご覧願います。
上野注2:このページに掲載しています地図は、当時の店のチラシより、その他の写真は、現在の写真で、梅田ケントスファンからの提供です。(現在も、店内外とも当時とほぼ同様です)


大阪・梅田ケントスのデータ (下記のバンド名のみ、1987年3月時点) 他は現在
バンド名 (1987年当時)ファンキーズ(ハウスバンド)
所在地 大阪市北区芝田1-5-6梅田旭ビル1F
電話番号 06-6375-9090
大阪・梅田ケントスへのリンク(下記クリック)
http://www.kentos.com/
特記事項、その他 オープンは、1987年3月27日
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