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ハワイケントス

ハワイの曲と言えば

 ハワイのことで私は、忘れられないテレビ中継がありました。それは、1973年1月14日の番組(アロハ・フロム・ハワイ)『エルビス・イン・ハワイ』(ワイキキ・インターナショナル・センター)です。

 最初から話しは完全に脱線しますが、私が田舎の高校を卒業して、間もない頃の1972年、当時大阪梅田にあったシネラマOS劇場(本格的な70ミリ・シネラマスコープで、映像も音響も迫力ありました)で、「エルビス・オン・ツアー」を3回ほど見に行きました。

 この時、、以前からプレスリーの音楽や映画などは、話しには聞いてはいたものの、この映像を見て「こんなスゴイ歌手だったやなあ」と改めて思ったものでした。

 その興奮冷めやらぬ(笑い)翌年のテレビ中継で『エルビス・イン・ハワイ』でしたから、なんか目が釘づけでステージを見ていました。24曲演奏されたのに、カレーライス食べた時間(笑い)くらいにしか感じませんでした。

 また、ハワイをテーマにした曲と言えば、私は迷うことなく(笑い)、エルビス・プレスリーの『ブルーハワイ』、『ハワイアンウェディングソング』を思い浮かべます。

 これら以外にも、ベンチャーズの(テレビアクションドラマで同名のテーマ曲)『ハワイ5-0(ファイブ・オー)』、それに、地名入りでは、(エレキギターのテケテケ演奏で当時日本中を席巻した)『ダイヤモンドヘッド』なんかも有名ですね。

 あと、女性歌手では、アネット(アネット・ファニセロ=この方は、美人で可愛い方でした)のヒット曲『パイナップル・プリンセス』もハワイにちなんだ感じでいいです。

(この『パイナップル・プリンセス』は、全国のケントス店で、ほぼ全部の女性ボーカルの方が歌っておられたと思います。バンド採用時の課題曲か練習曲にでもなっていたのかなあと思うくらい良く聴きました)

 なんか、これらの曲名を書くだけで、歌や演奏が聴こえてくるような(笑い)ノリノリの曲ばかりです。このように書けば、いかにもハワイに何回も行ったかのような雰囲気のページ(笑い)になりかけています。

 ただ、ここまで書いておきながらお断りを言うのもなんですが(私はヨーロッパには何回か行きましたが)残念ながらハワイには行ったことがありません。当然、一時期あった「ハワイケントス」も実際のことは全く知りません。

 それで、このハワイケントスのページは、当時年間4回ほど発行されていたケントス全国共通店内誌『OLDIES STATION』、店内でもらったカードや自宅に送られてきたハガキなどを参照して書いています。掲載写真も同様です。

 また、この私のホームページに「全国ケントス巡り」をシリーズで掲載し続けたところ、全国から感想含め、貴重な情報もEメールで教えて頂きました。このようなことも含め、今回、まさしく他力本願そのもので(笑い)、このページを作成していますので、ご了承願います。

 「ハワイケントスがオープンする」と言う情報は、まず、店内誌『OLDIES STATION』の1991年冬号から、私は知りました。その後は、「1992年2月オープン予定」「場所は、ハイアットリージェンシーホテル1F」など書いてありました。

 しかし、実際のオープンは予定より相当遅れたみたいで、同誌の1992年春号にも正式オープンしたと書かれておらず、やっと夏号になって、オープンの報告が掲載されていました。

 それによると、1992年当時のハワイケントスのハウスバンドは、『ジェフ・バートンとコルベッツ』(平均年齢25歳)でした。このジェフ・バートンのお父さんの名前は、ジェームズ・バートンで、上記の店内誌には、「アメリカロックンロール界を代表する」と書いてあります。

追加掲載分の写真(2005年6月12日掲載)写真提供:松山のYさんより
店内とバンド
ホテル案内図(右上ケントス)
玄関
(左右の写真撮影日:1994年7月16日 小さすぎて見えにくいですが左側写真の
ステージ後方に「KENTO'S  HONOLULU」の文字と椰子の木も描かれています)

 この方は、わたしの記憶では、プレスリーの映画で、バンドの紹介をエルビスがする時、「リードギターは、ジェームズ・バートン」と言っていたのが、印象に残っています。

 映画でしか見たことありませんが、この人は凄腕のギターリストだったと思います。そのDNAを持つ息子さんが率いるバンドですから、実際聴いてはいないもののなんか想像はできました。あと、女性ボーカルで、「リネアは元ミス・ルイジアナ」とも書かれていました。

 全国共通店内誌には、その後もハワイケントスの特集が続いていました。その中には、ステージの合間でも踊るお客さん、毎日のように行われるバンドメンバーとの記念撮影などとも書いてあり、なんか微笑ましい感じも伝わってきていました。

 以上のことから、店内の模様などは日本とほぼ同じでも、バンドやお客さんあるいは全体の雰囲気もかなり、日本の各店とは違っていたのかもしれません。当時私は、興味はありましたが、さすがに、「ハワイ店まで制覇しに行くぞ!」と言う気合も財政力も(笑い)ありませんでした。

 最後に、このページに掲載しています写真を上から順番に説明します。
1、ハワイケントスのボトルプレゼントカード(このロゴマークは、現在沖縄ケントスのホームページで使用されていますが、カッコよく、上部にある椰子の木は、なんか可愛らしい感じもします)
2、各店から送られてきたハガキの1枚
3、同上、「広々としたフロア-とステージ」との説明入り写真
(記:2002年11月16)

『ハワイケントス』のデータ 既に閉店(下記は、1992年当時)
バンド名 ジェフ・バートンとコルベッツ(ハウスバンド)
所在地 アメリカ、ハワイ
電話番号
特記事項、その他 オープンは、1992年春ころ
閉店は、1996年3月31日


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