TOP  INDEX BACK  NEXT

上記横長写真の中央部:エスリンゲンの象徴的な聖ディオニス教会(二つの塔と、それを繋いでいる橋が特徴。エスリンゲン城から撮影)

エスリンゲン観光その3、聖ディオニス教会、セントポール教会、マルクト広場のクリスマス市など

2015年12月19日(ドイツ時間)
 前ページ「エスリンゲン観光その2、シュルツ塔、スカイウォーカー、木組みの家などには、エスリンゲン旧市街地の入口みたいな所を書いています。
そして、標題のシュルツ塔、スカイウォーカー、木組みの家などは、これらそのままエスリンゲンの有名所ばかりです。
(南西側から撮影)中央部:聖ディオニス教会(正面)
(北東側から撮影)聖ディオニス教会(右端:クリスマス市の照明)
(東南東側から撮影)セントポール教会(手前:クリスマス市)
(聖ディオニス教会北東側の)マルクト広場のクリスマス市(南西側入口)
(同上)マルクト広場のクリスマス市

 今回のページでは、聖ディオニス教会とセントポール教会の紹介後、その教会近くにあるマルクト広場のクリスマス市、さらにはエスリンゲン城へ登る入口手前までのことを書いています。

聖ディオニス教会(Stadtkirch St. Dionys)
 ネッカー川の支流みたいにも見えるロスネッカー運河に掛かる橋の上からも、この聖ディオニス教会は既に良く見えていました。私達は、その橋を渡り、アプト=フルラート通りを北東側へ歩いていました。すると、上側1、2、3番目写真でもお分かりの通り、二つの塔と、その間を繋いでいる橋(渡り廊下)があるように見える姿が特徴的な聖ディオニス教会が、ますます大きく見えてきました。

 この教会は、私達が来たロスネッカー運河方面(南西側)からの目算で、ファサード(建物正面)の横幅20m位、奥行70m位、左側の塔の高さ70m位に見えました。(この大きさ=メートルは、あくまでも私の目算ですから参考程度に、ご覧願います) 私達は、時間の関係で教会内部までは見学していませんが、後で写真などを見ますと、中のステンドグラスなども、なかなか高さのある美しいものでした。

  また、いつもの私の怪しげなドイツ語訳から見てみますと、創建は14世紀頃のようです。そして、教会の下には考古学博物館みたいになっていて、その創建当時や以降の教会関係などの遺跡や遺物が展示されているようです。

 そして、教会の外観は見るからに、ゴシック建築様式(下記国語辞典参照)です。私は、ヨーロッパの教会ならば、これまで概算で30箇所は見て来たと思います。その中で塔の高さと言いますと、例えばフランス・ストラスブール大聖堂(尖塔142m)、、スペイン・サンタ・エウラリア大聖堂(尖塔92m)、フランス・パリ・ノートルダム寺院(尖塔96m、北塔69m)、前同サント・シャペル寺院(尖塔75m)などです。

 < ゴシック建築=ゴシック式の建築。尖頭アーチ・リブ-ボールト・フライングバットレスなどの構成要素を持つ。ノートルダム寺院・ミラノ大聖堂などの聖堂建築によって代表される。(国語辞典の大辞泉より) >

 いずれも、地面から塔の上部を見上げますと、「天まで届け!」みたいな雰囲気がありました。現代ならば、このような高さのある塔や建物は、いくらでもあります。しかし、何世紀も前にクレーンなどの重機類がなかった時代に、よくもまあ、こんな高い塔を建てたなあと毎回感心します。

 しかも、当然、電卓(電子式卓上計算機)やコンピューターなどもないのに、ちゃんと建築力学も計算して建ててあるので、何百年経っても教会本体がびくともしないのでしょう。特に、石の総重量で、何百トンあるいは何千トンとあるか分からない天井や上部構造を支える計算は、どうしたのか、私のような素人には驚くしかありません。

カトリックのセントポール教会(Kath.Kirche St.Pau)
 聖ディオニス教会の正面や北側面を見ながら歩いていきますと、左手(北北西)側に細くて高い塔の見えるカトリック教会のセントポール寺院が見えました。(上から4番目写真参照) この教会は、標題の通り、カトリック(カソリック)の教会です。カトリックとプロテスタントについては、下記<>内の国語辞典を参照願います。

 < カトリック= 1.カトリック教会。初代キリスト教会の正統を継ぐとされている教会。カソリック。 2.カトリック教会の信徒。地上におけるキリストの代理者としてのローマ教皇を首長とする。カソリック。。(国語辞典の大辞泉より) > 、

  <プロテスタント(Protestant) 《反抗する者、抗議者の意》16世紀のルターやカルバンの宗教改革後、ローマカトリック教会の信仰理解に反抗し、分離形成されたキリスト教各派、およびその信徒の総称。北部ヨーロッパ・イギリス・北アメリカにおいて優勢。プロテスタント教会自身は福音主義教会と公称する。(国語辞典の大辞泉より) >


 このセントポール教会の大きさは、目算ながら幅20m位、奥行60m位の細長い造りのようでした。塔の高さは、先の聖ディオニス教会よりは低かったようでした。上から4番目写真でもお分かりの通り、スマートな教会だなあとの印象を持ちました。

  あと、ドイツ語版ページによりますと、この教会の前身である「ドミニコ会修道院の基礎の礎石敷設は1233年で、実際の工事は1225年から始まった」みたいに書いてあるようです。そして、その後、様々な増設、改築などを繰り返して現在に至っているようです。

マルクト広場のクリスマス市
 聖ディオニス教会とセントポール寺院の塔を見ながら歩いていきますと、マルクト広場(Marktplatz=市場広場)の入口がありました。(上から5番目写真参照) この広場(市場)広さは、目算ながら南北間50m位、東西間70m位ありました。

 私の想像ながら、この広場は、今回のようなクリスマス市のシーズン以外、小規模のイベントや市はあったとしても、あまり大規模なものはなくて通常ガラーンとしているのではないでしょうか。

 もう10時30分位になっていたにも関わらず、まだ開いている店は少なくて、どちらかと言いますと準備中の店ばかりのようでした。あと、出店の屋根には、どこも同じよう木の葉が葺(ふ)いてありました。木の種類までは分かりませんでしたが、モミの木だったのでしょうか。シュッツガルトのクリスマス市で見たデコレーションされた屋根ではなく、質素な感じに思えました。

 ただし、上から6番目写真でもお分かりの通り、各店の正面や陳列棚の飾り付けは綺麗そのものでした。さらに、輝きと暖か味のあるイルミネーションも、より一層クリスマス市の感じを盛り立てているようでした。特に、この写真に写っている店は、室内飾り専門店のようで、星印、雪のマーク、サンタクロースや童話に出てくる情景などの装飾が沢山ありました。

 先ほどの広場入口から50m位、北東方向に歩くと、もう出口手前となりました。「まだ店が開いているのが少ないので、また帰りに寄ろうか」と言うことで一旦、広場を出ることにしました。私達は、次にシュトラレ・ボイタウ通りに入りました。この通りにも、クリスマス市が立っていて、人通りも先ほどのマルクトプラッツより賑わっていました。

 そして、どの店の店員さんも、中世時代から抜け出たような服装が特徴でした。(この周辺のクリスマス市の状況は、後のページに詳細に書く予定) そして、アウグスティーナ通りのガード下をくぐって進みました。そして、行き当たりの壁際には、高さ4m位の記念塔と横幅5m位の泉がありましたが、私は調べきれませんでした。

 この泉から、さらに階段を登り、次にオーベレ・ボイタウ通りを50m弱進みますと、エスリンゲン城に急登する階段入口が見えてきました。

(掲載日:2016年6月27日)
----------・・・・・・・・・----------・・・・・・・・・・----------・・・・・・・・・・----------
(旅行メモ)
2015年12月19日(ドイツ時間) エスリンゲン(Esslingen am Necker)観光
10時05分、エスリンゲン駅に到着、バーンホーフ通りのクリスマス市を歩く
10時15分、シュルツ塔(綱渡り名人のモニュメントがある)前周辺を見学
10時20分、木組みの家、聖ディオニス教会、ネッカ川支流の見える景色の場所
10時30分、聖ディオニス教会横のクリスマス市を見学

10時35分、エスリンゲン城へ登る入口、約300段の階段に挑戦
10時45分、エスリンゲン城の中庭を見学
10時50分、エスリンゲン城からの見学、市街地の眺望が抜群
11時05分、中世の服を着た店員さんばかりのクリスマス市見学
----------・・・・・・・・・・----------・・・・・・・・・・----------・・・・・・・・・・----------

TOP  INDEX BACK  NEXT