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聞いた言葉・第132回目、花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

 最初に念のために、この聞いた言葉シリーズは、そのタイトル通りで言葉それ自体や、それらにまつわる私の過去の話を書いているページです。ですから、間違っても文学的な内容を論じているページではありません。今回は小説家の林芙美子(はやし ふみこ)さんの言葉ですが、先に述べたように文学的なことではありませんので、それをご承知の上、このページをご覧下さるようにお願いします。

 まず、この言葉の意味についてですが、国語辞典の大辞泉を引用して書きますと、次の<>内の通りです。林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩。女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの

 林芙美子さんについて、さらに先の国語辞典を引用しますと、(1903〜1951)、小説家。山口の生まれ。多くの職を転々としながら、自伝的小説「放浪記」で文壇に出た。一貫して庶民の生活を共感をこめて描いた。他に小説「清貧の書」「晩菊」「浮雲」「めし」、詩集「蒼馬を見たり」などと書いてあります。

  本題の前に私の脱線した話を先に書きます。何事にも物覚えが悪い私でも、この作家については学校で習ったような気がします。また、私は文学とは無縁みたいな者ですから、この方の小説も、まともに読んでいないと言うのが正直なところです。あと、上記の小説の中で、「清貧の書」と言うタイトルに惹かれますが、それは自他ともに貧乏人と認めている私ですので、清貧の「貧」の文字ばかりに目がいってしまうからだと思います。

 ただし、先の辞典によれば、この清貧の意味は「私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること」のようです。この前半の意味において私とはあまり関係ないようですし、この小説それ自体も私が想像している内容と違うようです。

 あと、もう一つ脇道にそれますが、小説などとは関係ない話ですが、私は、当時この方の住まい=現在は新宿区立林芙美子記念館にも注目しています。この家は、京風の数寄屋造りのようです。しかも、当時の女性としては珍しく新居を建てるために相当熱心に勉強されて材料選び含めて、なかなかこだわって仕上げておられるようです。私も東京に行く機会あれば、見てみたい建物(古民家)の一つです。このようなことは意外と思うほど、住む人の個性や人柄が反映されるものではないかなあと個人的には考えてもいます。

 やっと、本題の今回の言葉に戻りますが、花の命は短くて苦しきことのみ多かりきは、冒頭の辞典部分=「色紙などに好んで書いた短詩」の通り、色紙などの言葉からのようです。さらに、ホームページ検索を試みると、どうも小説や本などには出てこない言葉のようです。そのような意味からしても、冒頭の辞典の後半部分=「楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの」の通り、この作家の人生体験、生活実感、本音そのものではないかなあと言う気がします。

 また、全く個人的な感想ながら、この短い文言の中に若い世代を思い出しながら人生の総てを表現してある言葉は、そう沢山あるものではないと推測しています。特に、女性の生き方を表現している文言で、これほど有名な言葉もないような気がします。

 私は、この方の生涯について詳細分かっていないのですが、享年47歳ですので当時としても長いと言うより短い方だったかもしれません。色々なホームページには、晩年かなり無理した執筆活動をされていたようで、それらに伴う健康阻害も死因の一つだったようです。

 あと、花に例えながらの言葉としても自分の半生を振り返って花の命と表現してあるのは、いくら女性の作家とはいえ、なかなか表にすっとは出しにくい文字ではないかなあと、男の私は思うのですが。さらに深読みすれば、いくら前半生において非常に不遇で苦労されたとしても、後で名声と言いますか、かなりの成功を収めた方でないと書ける文言でもないような気もするのですが。そうでないと、色紙などに自らの言葉としてしたためて一人一人に渡されるのかなあとも想像しています。

  生まれてから死ぬまで富も名声も幸福も得ておられる方には、今回の言葉は無縁でしょう。でも、そうではない、ある面多くの方にとって「その通り」と共感を呼んでいるのは、(この言葉を表に出して言うか、いわないかは別としても)自分と重ね合わせている方もいるからではないでしょうか。また、先ほどと繰り返しになりますが、この言葉は不遇も幸運も、不幸や幸福も実体験した方だからこそ重みを持って言えるのであって、その意味からして短い文章ながら良く表現されているなあと改めて思いました。

(記:2011年8月8日)
  

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