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聞いた言葉・第137回目、3・11以降、日本人の意識の変化

3・11以降、日本人の意識の変化

 速いもので2011年3月11日に発生した東日本大震災、その後に起こった東京電力・福島第一原子力発電所事故などから、しばらくしたら1年を迎えようとしています。私は、大阪時代の1995年1月17日に阪神淡路大震災を経験しました。(ただし、私自身は家財道具の損傷程度で済みましたが、結局は当時のアパートの屋根が一部壊れ、引っ越しを1年後にしました)このようなことについて、たとえ長生きしても人生100歳前後かもしれませんが、その一生の中で、まさか歴史に大きく記録されるような大震災を2回も見聞きするとは思いもしませんでした。

 それよりも何よりも、二つの大震災とも多数の尊い命が犠牲になったばかりではなく、怪我された方々もいます。また、家・土地・農地・工場・会社・設備や財産などが失われました。さらに、今回は今なお故郷近くにも戻れない生活を余儀なくされている方々も、多数おられます。特に、東日本大震災は、ずっと大津波や原発事故との関係から、現在進行形あるいは根本解決の見通しのつかない状況が継続していることは、各種報道などで語られている通りです。

 阪神淡路大震災以降と比較して、今回の震災や原発事故後に多く語られている事柄で「震災後、日本人の意識の変化」と言うテーマが多いような気もします。そのようなテーマで各種アンケートが実施され、その結果をマスコミが分析し報道していることから、そのように思えるのかもしれません。

 それらの中には、震災後、日本人の意識の変化として、例えば「防災意識が高まった」、「非常用の製品に関心が強くなった」、「防災用品を購入する人が増えた」、「住宅を建てる前に防災事項の質問も増えた」とか、日常普段の生活する上で震災や災害に備える関心や準備などは、従来より増して高まったことを言っておられるのでしょう。

 あと、精神的な面として、昨年(2011年)から良く聞いているのが、主に海外からの報道として「あれだけの震災にあっても日本人(注:東北の方々を主に指していると思われる)は忍耐強く秩序を維持している」、「日本人が再評価されている」みたいな内容です。

 さらに「非常時には何よりも命、家族が最優先で改めて見直された」、「郷土史(地方史)が再認識された(この件の詳細は「聞いた言葉シリーズ・第136回目、郷土史の再評価(地方史の見直し)を参照」)」などの報道も何回となくありました。また、震災後に多くなった言葉として、様々な人間関係の中から「絆が大切、絆が深まった」とかも言われ、2011年の漢字一文字では「絆」が選ばれたようです。

 以上のような言葉や事柄は、決して悪いことではなく評価すべきことと、私は思っていました。ところが昨年末、ある葬儀の終了間際、読経をあげられた(故人とも友人だった)ご住職の方が、会葬者に向かって(概要)「今年は”絆”という言葉が話題になって大事だみたいに言われているが、私はむしろ危ういことだと思う。人との絆、友人や家族間などは極普通に誰から何も言われなくても、いつも持っているはずだ。それが取り上げられること自体、現代の社会では希薄だから話題になるのではないか」と言っておられました。

 私は、「そうか、そのような捉え方や指摘もあるのか」と思って聞いていました。その後、 私は「聞いた言葉シリーズ」第14回目『21世紀のテーマ、自然と家族』ページを改めて見てみました。ここには、各報道などから21世紀を迎える前に20世紀を反省し、次の世紀の大事なテーマとして「自然と家族」が多かったことを書いています。実は、そのページにも今回と似たような内容もあります。

 それは、次の<>内です。<・・・「自然や家族」を大事にすることは、大変いいことだと私は思います。ただ、このテーマはいちいち言わなくても、どの世紀でも極当たり前に、最も大切にされてきた事柄かもしれません。 それを改めて問い直すところに、現代のこの事態の深刻さを物語っているようでもあるし、逆に人間の知恵がまだあることを証明しているのかもしれません>と書いています。

 あと、私は、大震災・原発事故以後、国民に知らせられたヒドイ情報で、政府、電力会社あるいマスコミ各社が国民に事実上、ゴマカシの内容を何十回と繰り返したことではないでしょうか。例えば、原発事故があっても「直ちに健康に影響はない」、「チェルノブイリ事故ほどではない」、「メルトダウン(炉心溶融)は起こっていない」その他、重要事項が沢山あります。

 それらを政府、東電、マスコミさらには一般に”御用学者”と呼ばれている専門家まで総動員して何十回となく報道していました。また、アメリカやヨーロッパ諸国は、原発事故後ただちに自国民に警告を発し、退避や帰国を呼び掛けていましたが、それらの正しい行為に対して、逆に「他国(日本)で発生したことだから、外国の政府やマスコミは簡単に言えるのだ」みたいなことを繰り返した報道もありました。

 結果として何が正しくて、どの対応策が本当に自国民の立場で言っていたかは、もう書く必要もないくらい、その後明らかになったことです。いつもは、何かの問題を起こした政治家や当事者に対して、「この件の説明責任は?」、「説明責任や結果責任を果たしていない!」と詰め寄られるマスコミもありますが、原発事故後の、自らの報道内容には”説明責任”も”結果責任”追及も何もないのでしょうか。この言葉は、他人に対してだけ用いられるマスコミ用語なのでしょうか。

 これら政府・電力会社・マスコミによる以前からある「原発の安全神話」や、震災・原発事故の後の発言や対応策も含めて国民の立場に立っていないことが、白日もとにさらされたのも事実と思います。しかも、その「安全神話」は、補助金、広告宣伝費という”金の力”で成り立っていたこともです。つまり、お金(収入)さえもらえれば「安全でなくても安全」と言い続けた体質、「全てにおいて金に支配されている体制」を国民は、この機会に知ったのかもしれません。

 あまりいい意味ではないのですが、日本人の体質を表す言葉の一つとして「長い物には巻かれろ、お金には頭を下げろ」みたいなことも昔からありました。これらは全部がぜんぶ嘘や誤魔化しだけで長続きする訳ではないと思いますし、日本の長い歴史からすれば、それだけでは体質化までならなかったような気もします。

 そんな状況下、原発事故前の「安全神話」を筆頭に、事故後の国民に対する真実のゴマカシ、隠蔽(いんぺい)をした人達に対する厳しい声は、今までの日本人体質や意識にないことだったことかもしれません。これらは、ある一定度信頼されてきたと思えるような政府発表と、それらに基づくマスコミ報道の信用度を国民は疑いかけているのでしょう。その意味からして2011年の流れは、今までの日本人の意識も変わりつつあるのかもしれません。

私の関係ホームページ
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 郷土史の再評価(地方史の見直し)
 21世紀のテーマ、自然と家族
 真実を自分で探す時代
 策士策に溺れる
 人は言うことよりも、やることを見よ
 反対意見にも真理あり
 考えは変わりやすいが、体質は変わりにくい
 悪貨は良貨を駆逐する (グレシャムの法則)
 空気で作られた「真実」と「正義」

 これは何も原発事故関連だけでなく、今国会中で「消費税増税一直線」で進む政府を真っ先に「増税止むなし」で繰り返して、まるで政府の応援団化しているマスコミの政治報道があっても、国民は「増税の前に、先にやることがあるだろう」などと世論で応えていることも少しの例ですが、分かりやすいことです。あと、私は、「聞いた言葉シリーズ」第122回目、『考えは変わりやすいが、体質は変わりにくい』とも書いています。何事も一気には行かないとも思われます。

  しかし、結果として国民のためにならない、全て、お金に支配されたような嘘や誤魔化しは、いずれは破綻することも一連の流れの中で良く見えたことでもありました。3・11以降、日本人の意識の変化の中に、このことも入っているのかもしれません。「もう騙されない」、「国民の支持なくして政府も企業もマスコミも成り立たないのだ」と国民が、どこまで粘り強く追及して行くか、そこに今後の展開が架かっているような気がします。


(記:2012年2月6日)
  

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