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聞いた言葉・第27回目、欲も得もない

欲も得もない

 この言葉は、最初に私がまだ学生の頃、親戚のおじさんやまわりの年配の方々に聞きました。ただし、当時の私がその方々の心境やこの言葉の意味など分るはずありませんでした。また、当然話し方は、大村弁(長崎弁)ですから、実際は、「もう、こげん歳(とし)になると、欲も得もなか」(もう、このような年齢になると、欲も得もないですよ)と聞きました。

hana01.gif (109146 バイト) 普通この言葉で使われている「欲」は、欲望・欲心(物を欲しがること)のことで、「得」は(利得・もうけを得ること)の意味です。

 また、広く一般には、この言葉の使い方は、例えば、3日間釣りに行って全然釣れなくて最終日の諦めの境地とか、あるいは何か怖い目にあって、逃げ出すような時の心境としても使われているようです。

 ただ、私が学生の頃、年配の方から聞いたこの言葉は、そのような意味もあるのですが、ちょっと違うニュアンスだったろうと思いました。

 その前にこの言葉の前提は、言外に生活する上で最低限の収入があってのことです。このことは、言う側も、聞く側もそのことを分かり合って使っているはずと思います。そうでないと、なかなか、成り立たない言葉とも思われます。

 なぜ、50歳も越しての今ごろになって、やっと、この言葉の意味の少しでも分りかけてきたのか、やはりそれは年齢と体力の関係だからと思います。人は、誰でも(たとえ大金持ちでも私のような貧乏人でも)公平に歳を取ります。また、よほどの方を除けば大なり小なり、体力の衰えを感じ、さらに持病などあればなおさらのこと、若い頃となんか違うと思うはずです。

 私も等しくそう思う者の一人で、そこそこの(生活できる)収入があって、毎日健康でさえあればそれが何より大事と思うようになってきているからです。自らの健康、さらには家族、親戚、隣人・知人など、私のまわりの方々が健康で幸福そうな営みが日々見えれば、それが何事にも変えがたいものだと、心底思うようになりました。

 また、何かの理由でこのようなことを残念ながらも無くされた本人は、いくらお金や名声があっても、もはやかなうことのできないものと、痛いほど実感されているのかもしれません。「病気になって初めて健康のありがたさを知る」と言うことばもありますが、そのことを実感しているからこそ、今回の言葉の意味がこの私でも分りかけてきているのです。

 私は、他人に迷惑をかけなければ、誰でもお金、地位、名誉、あるいは持って生まれた才能発揮のため、色々な分野でチャレンジすることは、いいことだと思います。ただ、それに到達するにしても、人はどうしてもなくしてはならない、あるいはいずれ無くすことがあったとしても、そのこと以上に用心・注意が必要だと。さらには、そのようなことにも増して変えがたい大切なものがあるのだと、この言葉は逆に教えているような気がします。(記:2003年5月17日) 

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