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聞いた言葉・第65回目、記憶は一代、記録は末代

 
記憶は一代、記録は末代

 この言葉は読んで字のごとくの意味ですが、どこかの新聞折込チラシかで見て「それは、そうだなあ」と思いました。「末代」とか言う文字もあるので何か大きなことを書くのかと想像されたかもしれませんが、例えば国内外に大きな影響があるとか、何か高い価値観のある記録とかは無縁の私のことですから、気楽にこのページご覧頂けないでしょうか。

 まず、私がまだ幼稚園に行くかいかないか頃に、(亡くなった)祖母から地域に伝わる「天狗伝説」の話をかすかに聞きました。その後、この話は50年近く忘れていました。

 ところが、私の住んでいる郷土史に興味を持ち2003年から福重郷土史の講座に参加しました。(現在は、福重郷土史同好会として活動中です) この時、講師の方から「大村市の重井田町には天狗にちなむ字(あざ)=地名がある。それは<天狗通>と言う。何か民話も残っていたのかもしれない」の話を聞きました。

 その後、この民話の件について本などなかったため、私になりに年配の方中心に15名ほど聞いてまわり、その都度、伝説の岩場などを探しました。約1年間調査してまとめたのが『大村市重井田町の天狗伝説』です。この民話は私個人の調べではありますが、たぶんに長崎県最古の民間伝承話(民話)と思っています。

 この伝説をまとめたのは、いくつか理由はあるのですが、その中の一つとして、この伝承話を話して下さる方が、本当に少なくなって来ている現実があったからです。何とか不十分さはあっても、記録に載せないものかと思い書いたのが、『大村市重井田町の天狗伝説』でした。(ご参考までに、その後これをもとに『創作童話てんになった福ちゃん』、英語版『The Tengu kid - Fuku chan』も作成しました)

 できれば、冊子などの出版もできたら良かったのでしょうが、財政上無理だったのでホームページに掲載中です。あと、掲載を急いだ理由は、上記の「記録に残す」と言うことも当然ありますが、ホームページ化(HTML化)することにより、これをベースに様々な情報提供があるかもしれないと思ったからです。

 あと、この件だけではありませんが私は郷土史関係などの資料(データベース)をホームページ化している理由には、それ以外にもいくつかあります。それは印刷物は、いずれ経年変化する可能性もありますし、訂正含めた更新や直接的な2次利用が難しいということもあります。また、たとえパソコンの文章作成ソフトで保存したとしても、そのソフトが将来どうなっていくのか(中には生産中止とか、古くなり過ぎて使えないとか)分からないこともあります。

 その点HTML化したデータベースは、色々なソフトに幅広く転用可能だと言うこともあります。つまり、ソフトによって保存形式様々あれど、ホームページ化した方が、”長生き”するのではと思ったからです。まあ、そうは言っても何年後か何十年後かインターネットに変わるのが現れてきたら話は別ですが。

 いずれにしても回線さえ繋がっていればHTML化した様式が、どこからでも利用できて再利用さらには(現時点で)将来含めて長く使える可能性のあるソフトは、あまりないのではないでしょうか。

 記録の永年保存について、私は元同僚と話したことがあるのですが、彼が言うには「石に彫られた碑文などが一番で何千年も持ち、火災や災害にも強い。但し文字数は限られているけど、本やCD・DVDは燃えたら終わり」と言っていました。私はなるほどなあと思いつつ、石に替わる最終保存形式に答えきれませんでした。

 「記憶は一代、記録は末代」と口では簡単に言えますが、この「末代」まで残せる方法となると、なかなかだなあと思いつつ、でも記憶や口述より、やはり本やCD・DVDであっても記録として残しておいた方が、様々な形で活用されるような気がします。

(記:2006年11月17日)

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