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8)丸太組み

 小雨上がりの10月4日朝8時に到着した10トン・トラックから、大工さんやスポンジテープを張る手伝いの方含め総勢21名が見守る中、丸太が宅地に降ろされ始めました。丸太は9本づつ梱包され、下から順番よく組めるように一本々に番号がふってありました。

 まず、丸太の上部に5ミリ幅のスポンジテープを張り、大工さんへ手渡しました。最初の一本目(シルログ)を乗せようとしたところ、ログ加工図と丸太番号とが、長さも、通しボルトや電気配線用の穴の位置も合いません。メージャーで計ったり、実際に載せて右左にずらしても、ABCの順番がどこか違っていました。その間に大分から日田群森林組合・ログハウジングの矢羽田課長が指導に来られ、丸太の順番が解決されました。とまどった原因はログ加工図上のA通しではなく、空港方面から見て左から丸太の順番がABCと言うことでした。

 「矢羽田さん、丸太の番号は昔流の大工さんのためにアルファベットでなく、イロハニホヘトにしてもらわないと」とか「大工も英語を勉強せんばね」などの会話では大爆笑になりました。

 その後はお昼前までに5段目まで丸太組みが順調に進みました。昼食時には女性陣が用意してくれた弁当や吸い物をほおばりながら話が弾みました。段々と高くなるためクレーン運転手から丸太を降ろす位置が直接見えないため、補助のガイドが必要となりました。17時前までにはトラック1台分9段目までの丸太が組み上がり、一日目は終了しました。

 明けて、10月5日は快晴でした。手伝いの方の交代はありましたが、連続参加の方もおられ、始めての人に作業手順を教えておられました。丸太組みは慣れて早く進みました。しかし、外建具(木枠のペアガラス)の外枠をはめながら丸太を組む頃にはスピードダウンしてきました。昼休み後の10段目以上は2mを超す高所作業で、皆さん休憩も取らず、頑張って頂きました。

 17時頃には 15 段の丸太組みは全部終了したものの棟木を支える束がなかなか収まりません。原因は通しボルトのナットが締めにくいためでした。それでも棟木一本が上がり、17時の予定より 40分遅れで餅まきの準備が始まりました。男 7人で仮の屋根に上がり、お神酒を酌み交わしました。総勢50人以上で、大人や子供さんから「5円より、50 円玉投げて」「餅をもっと、コッチへ」などの掛け声がかかりました

 餅まき終了後18時過ぎから、建家の会がおこなわれました。福重さんの乾杯ご発声で始まった宴会は各自の持ち歌や隠し芸まで飛び出しました。特に、同窓生松浦君の棒術披露(七百年の歴史を継承する竹生島流の宗家)、赤田君のどじょうすくい、親戚の藤田さん親子による替え歌、大工さんたちによる御謡など、ほぼ全員がカラオケなしで歌いまくり、拍手喝采の宴会となりました。

 10月6日朝から昨日までに出来なかった棟木や母屋木をクレーンで吊り、昼過ぎには全部の丸太上げが終了しました。それからは垂木の準備などが始まり、着々と天井工事が進んでいきました。(記:1998年3月)

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