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私の温泉紹介
山形県、湯の浜温泉、ホテル宮嶋
都道府県名、地名、温泉地名など 入湯した旅館名(温泉施設名)
山形県鶴岡市湯野浜1‐6‐4 、『湯の浜温泉 ホテル宮嶋(現在名:愉海亭みやじま)
主な泉質、温度など 備考備考(注:文章や写真は当時の情報です)
含塩化土類弱食塩泉、58.8度 このホテルのホームページは、ここからどうぞ。
右側:ホテル宮嶋
 本題の湯の浜温泉ホテル宮嶋(当時の名称です)さん紹介の前に、まず、この地にある空港について書きます。この庄内空港は、1991(平成3)年10月1日に開港(滑走路2,000m)しました。

 (当時最も新しい)庄内空港に興味深々の私は、早速見たくてむずむずしていたのですが、たまたま鶴岡市在住の知人がいらっしゃって、この方を訪ねて1992年1月8日大阪空港からの直行便で向かうことにしました。

 途中、エアーニッポンのA320機は、雪の御岳や北アルプス越えで山形方面に向かったと思います。この雪山上空の飛行ルートは、晴れの日でもあったためか、なかなか抜群の景色で、印象に残るコースでした。

 庄内空港にアプローチする時、飛行機の窓一面、そう見渡す限り田んぼと言う感じの庄内平野が見えてきました。「米どころの庄内平野」と、噂に聞いてはいましたが、「なるほど、そうか」と実感致しました。あと、この空港は、当初私が考えていたよりも意外と海の近く(砂丘地帯だったのかな?)なんだなあと思いました。

 とりあえず、鶴岡市内にある知人宅にお邪魔し、これから行く所や今日の宿などについて話しをうかがいました。その後、市内にある大宝館(たいほうかん:郷土の先人、偉人の業績を紹介する「郷土人物資料展示室」)、藩校致道館(はんこうちどうかん:東北に現存する唯一の藩校建築物として国指定の史跡)などを一緒に見てまわりました。

 この大宝館は、バロック様式の建物で大正浪漫を感じさせる、なかなかおしゃれだなあと思いました。夏の時季に来たら、まわりの池や緑の木々に映えて、なおいいのではと思いました。この2階展示場には、案内して下さった知人の父上様の写真や武具などが飾られていました。

海底風呂”(パンフレットより)
 このホテル宮嶋には夕方、知人の案内で着きました。部屋で美味しい食事をしながら、山形の色々なことを教えて頂いたり、また、大阪や長崎のことも交えながらの歓談は20時過ぎる頃まで続きました。話しに夢中になっていたため、こちらの名物みたいになっている日本海に沈む夕日は残念ながら見ませんでした。

 その後、パンフレットを見ると”海底風呂”と書いてあり、興味を引きました。このホテルは海岸線近くにあり、地下に下れば、水平線より低くなり、つまり”海底”と言うことでした。早速、温泉分析表をカメラに収め、”海底風呂”に入りました。

 私が撮ったこの温泉分析表の温度、泉質、効能の部分には、次のように書かれていました。「 」内がその引用部分で一部省略もあります。 温度:58.8度 泉質:本泉は、含塩化土類弱食塩泉に属する。 医治効能 浴用:創傷、火傷、(一部省略)、リュウマチ、神経痛(後略) (昭和35年7月6日の日付あり)

温泉成分表
 入浴は最初数人でしたが、後になりたった一人でまるで貸切みたいになり、「あー、ここは海底なんだあ」と思いながら、ゆっくり入っていました。私がこちらにお邪魔した1992年1月当時、こちらの温泉といえば、この”海底風呂”だけだったと思います。

 その後、1993(平成5年)5月よりのリフレッシュオープン時、屋上に展望露天風呂もできて、さらに再度2004年4月25日からリニューアルオープンされ、名称も「ホテル宮嶋」から『愉海亭みやじま』に変えられたものと思います。この愉海亭(ゆかいてい)の名称は、たぶんに「愉快」と「海底(風呂)」をかけたもののようで、なかなか忘れにくい名前だなあとも思いました。

 この展望露天風呂からは、日本海の大海原に沈む夕日が眺められ好評のようです。また、機会あれば行って見てみたいですが、長崎からは予算上なかなか簡単にすっとは行きにくいでしょうかね。あと、この旅行時、私は鶴岡市内観光だけでなく、お隣の酒田市にある『山居倉庫(庄内米歴史資料館)』、『土門拳記念館』、『本間家旧本邸』、『本間美術館』などを見てまわりました。

 中でも土門拳さんの迫力ある仏像写真、それに雪で真っ白になった山居倉庫の連続した屋根は、撮った写真とともに忘れがたいものとなりました。(掲載日:2004年11月23日)

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