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カンピドリオ広場、コンセルヴァトーリ美術館など
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マルチェロ劇場
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アポロソシアノ神殿
1996年9月1日その
マルチェロ劇場とアポロソシアノ神殿
 
テアトロ・マルチェロ通りを歩きながら、11時30分近くには古代のマルチェロ劇場(マルケス劇場)と3本の円柱のみが残るアポロソシアノ神殿(アポロ神殿)跡が写真撮るのに丁度いい具合になってきました。

 このマルチェロ劇場は、ローマ最古の劇場と言われています。紀元前11世紀頃にカエサルが命じて造らせ、その後アウグストゥスが完成させたようです。外観は、先にご紹介しましたコロッセオに良く似た建物です。

 収容人数は1万人のようです。一口で1万人と簡単に言えますが(当然テレビ、ラジオさらにはスピーカーもない時代に)この人数を集めるだけでも、なかなかのものです。また、室内照明のシャンデリアとかスポットライトなどはなかったでしょうが、今この日本で1万人収容できる劇場がいくつあるのでしょうか。その規模自体、現在でも驚異的なものです。

 2千年も前に、この劇場を建てたと言う感心さだけでなく、私はそれよりも、「1万人収容できる劇場を建てよう」と言うアイデアそのものに本当に驚きを感じます。このマルチェロ劇場の最上階部分は、今も住居になっていて人が住んでおられます。。

 幾つかのテレビでもそのことを報道していましたが、「歴史を感じさせ住み心地がいい」と居住者の方は答えておられたのが、印象的でした。それはそうでしょう、2千年前の遺跡に住んでおられるのですから。

 「石造りの建物だから」と言えば何でもこの言葉で片付けられてしまいます。でも、日本では、まだ築50年くらいのビルディングでも、もう老朽化したとか言って全部壊して新築したり、たった400年か500年くらいの歴史しかない街が「長い歴史ある町」みたいに宣伝しているのを見ると、このローマと対比するまでもなく、なんか恥ずかしくなります。

 
アポロソシアノ神殿(アポロ神殿)跡は、現在右上写真の通り、3本の円柱が残っていますが、この柱が大理石製か白くてきれいなものです。創建当時はさぞかし壮麗な神殿だったと想像されました。。      

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カンピドリオ広場
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カピトリーノ博物館
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ロムルスとレムス
カンピドリオ広場
 アポロソシアノ神殿跡を左に見ながらさらにテアトロ・マルチェロ通りを歩くと、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂手前の所から右に折れ、カンピドリオ広場に続くコルドナータ(石段のある坂道)へ行きました。その登り口には泉があり、そこで手を洗いました。このコルドナータは、横幅が長くて一段の奥行きも広い、おおよそ20段ばかりの階段状でした。上部には台座まで含めると人の高さの3倍はあろうかと思える高さの彫像が両脇に置いてありました。

 コルドナータを登りきると、そこは幾何学模様をしたカンピドリオ広場でした。このカンピドリオ(Campidoglio)はカピトリーノ(Capitolino)とも言われ、英語のキャピトル(Capital=首都)の語源にもなっているようです。ローマの七つの丘の一つで古代ローマ時代は大変重要な場所だったようです。

 「この模様は、後からあの屋上からゆっくり見ようか」と言いながら、とりあえずは
カピトリーノ博物館の窓口でチケットを購入しました。この博物館には、「瀕死のガリア人」「カピトリーノのヴィーナス」の彫刻がありました。

 この建物の向かい側にも行きました。ここはコンセルヴァトーリ美術館で、有名な彫像では学校の教科書でも見たようなロムルスとレムスがありました。このロムルスとレムスは、ローマ建国の始祖と呼ばれていますが、ただ、狼のお乳を吸っている像は、中世に足されたとする説もあるようです。私が見たところ、狼はなんか怖い感じの迫力のある顔付きをしていましたが、お乳を飲んでいるロムルスとレムスは可愛らしくも見えました。

 二つの展示館を見てまわると少し疲れて、コンセルヴァトーリ美術館の中庭で小休止しました。しかし、ここにもコンスタンティヌス帝の顔、手、足などの一部が無造作に置いてあり、早速数枚の写真を撮りました。この顔だけも目算ですが高さ約3m、手で約1m50cmくらいあり、これを全て壊される前の像としたらいくらになるでしょうか。軽く10数メートル超える様な巨大な彫像だったことが予測できました。

 しばらく休憩してから、カンピドリオ広場に面したもう一方側のローマ市役所の階段を登りました。ここからは、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロの傑作と呼ばれるカンピドリオ広場の幾何学模様もよく全体見えました。私たちは、「さすが、ミケランジェロやねえ、こんな模様を広場にするとは。この模様がなければ、ただの、なんもないような広場よねえ」など話していました。

 今回、広場中央には台座のみが見えました。本来この台座の上には、マルクス・アウレリウスの騎馬像があるのですが、私たちが行った時には修復工事中だったためか、何もありませんでした。(右上写真の通りです。ただし、その後レプリカの騎馬像が置かれているようです)

 広場には結婚式を上げたばかりの新郎、新婦を中心に参加者が記念撮影を変わるがわるしていました。これは、私の想像ですがたぶん、教会で式を挙げた後、そのままの衣装で婚姻届を出しに、このローマ市役所に来ていたのではないかなあと思いました。また、この人たちかどうか分かりませんが、あとで書く予定の昼食時にもナヴォーナ広場で、このような光景を見ました。

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ヴィットリオ・エマヌエーレ二世
記念堂
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ヴェネツィア宮殿
ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂ヴェネツィア宮殿
 カンピドリオ広場や美術館などの見学も終わり、12時も過ぎてお腹もすいてきたので再度コルドナータを下りました。テアトロ・マルチェロ通り行くと先ほどから大きく見えていた”巨大なインク壷”とも酷評されているバカでかいヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂がさらに大きく見えてきました。

 ヴィットリオ・エマヌエーレ二世は、小国家などに分かれていたイタリアを統一したと言われていますが、私はこの建物は何回となく外から見ましたが、内部は見学したことがありません。この記念堂を右手に見ながら、左手にヴェネツィア宮殿や
ジェス教会などが見えてきました。

 ヴェネツィア宮殿は、元々はヴェネツィア出身の枢機卿の命により1455年から建設を着工しできたものを数々の変遷を経て今日に至っているようでした。建物の特徴は、片側だけが大きな四角の塔のようにもなっています。

 この宮殿は、現在ヴェネツィア宮殿博物館にもなっていて、中にはローマ時代からバロック時代までの陶器のコレクションが沢山あるようでした。「ムッソリーニが演説をぶったのは、あの2階のバルコニーからよ」と言いながら、交通量が多いヴェネツィア広場の交差点へ行きました。

 交差点中央には白い帽子を被ったおまわりさんが立って、今時大変珍しい手信号中で交通整理をおこなっていました。このシーンは映画『ローマの休日』でも出てきていました。あの映画は、1953年製作、1954年初公開ですから最低でも約50年、実際はもっと早くから行われていたでしょうから、それにしても建物もローマは古いが、交通整理までもとは思いませんでした。

 昼食をとるため、ジェス教会などを左手に見ながら、コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りを歩き、ナヴォーナ広場に向かっていきました。

(旅行メモ)
11:20 古代のマルチェロ劇場とアポロソシアノ神殿を左手に見ながらテアトロ・マルチェロ通りを歩いた。
11:30  カンピドリオ広場に着き、カピトリーノ博物館やコンセルヴァトーリ宮殿美術館を見学した。
11:45 コンセルヴァトーリ宮殿美術館の中庭でコンスタンティヌス帝像の巨大な頭部を見て小休止した。
12:00 ローマ市庁舎から広場の幾何学模様を見た。広場には新郎新婦などが賑やかやだった。
12:10 ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂やヴェネツィア宮殿の前を歩いた。
12:15 交通量が多いヴェネツィア広場の交差点、手信号で交通整理中のおまわりさんがいた。
12:20 ナヴォーナ広場に行くためコルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りを歩いた。
(掲載日:2006年6月13日)

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