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シヨン城

 15時前にシヨン城前のバス停に到着した。戻る方向に歩道を歩くと左手に湖の入江を渡る橋があり、ここから今度は逆に前に進むとお城の入り口に出た。入場料 5.5フランを払い、さらに「ジャパン」と発言すると日本語で書かれたチラシをくれた。それには、詳しくこの城の説明がしてあった。

 概略、「ローマ時代にこの城の原形があった。現在の形式は13世紀のもの。一時期牢獄にも使用された。この城を有名にしたのは情熱の詩人バイロンで叙事詩『シヨンの囚人』を書いた。

 牢獄の7番部屋の5番目に柱に自ら『BYRON』の落書きをしている。建物は地下から3階まであり、部屋数は28あり、城主の間や宴会場は当時貴族の豪華な生活を偲ばせる物だ。天守閣からのレマン湖やスイスアルプスの眺めは抜群だ」 等であった。

 チラシの番号順に従って、まず、牢獄から見て行った。さすがに牢屋で暗く人が一杯いなければ早く出たい感じだった。英語が分からないまでも『BYRON』の落書きの柱や鎖で囚人が繋がれていた所等理解できた。大きい碁盤の目のような鉄柵の入った窓は1畳分位の大きさで、ここだけは明るかった。真下にはレマン湖の波が打ち寄せ、鴨がスイスイ泳いでいた。

 次に順路に従ってに城主の間、宴会場、天守閣、回廊、中庭等を見てまわった。その中には板が並行に置いてあるだけのトイレは皆さんに笑いをさそっていた。城主の間、宴会場はかくてこの地を支配していたサヴォア公が使用していたものでなかなか当時を思いださせるような豪華さだった。

 天守閣へ高所恐怖症の小林弁護士も勇気を持って、暗い細い梯子段を登られた。天守閣からの眺めはレマン湖、アルプスの山並みやモントルーの市街等360度見え抜群だった。 出口の広場から軒下の飾ってある花等を撮っていたら、小さな白人の兄弟達がまわりにいた。山口さん所持の日本製バッジを上げると、ニッコリしてお母さんに促されるまま「メルシー(ありがとう)」と言ってくれた。小さな挨拶だが見ていて本当に気持が良かった。

 16時10分にシヨン城を出た。船着き場から見るシヨン城のポーズは絵葉書にもなっていて、最高に良く皆さん何枚も撮られていた。ここでお土産を買っていないことに気ずき戻ることにした。時間が気になるが走って、お城の出口付近にある店で10枚の絵葉書を買った。何とか間に合い船着き場で全員揃い、記念撮影していたら、16時28分乗船時間となった。(1994年1月1日記す)

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