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移動日(93年10月15日)

朝焼けのターミナル

 大阪空港の朝日は滑走路側から見るとターミナルビルの方から上がって来る。夜勤はいつも朝08時30分の勤務終了が待遠しい。旅立ちの今日はなおさらだった。同僚と従業員食堂で朝食を終え、会社の大きい風呂への入浴もいつもより短目だった。

 一旦、旅装を整えるため自宅に帰った。前の日からチェックリストを作り、旅行鞄にパッキングしていても何か忘れはないか気になった。7年前のヨーロッパ3空港調査・旅行時よりは不安や興奮はないが、それでも新品の大型サムソナイトに一つずつ服やガイドブックを入れると気分が高まってきた。ガスの元栓、窓のロックや戸口の鍵をかけ出発準備は完了した。

 阪急石橋駅からタクシーで空港に向かうことにした。国際線ロビーは他人のプッシュ・カート(手押し車)が当たる位いつも混雑していてにぎやかだ。13時30分 日本航空JL052便(大阪空港発→成田空港着)のチェックインの手続きを行った。忘れていたカメラの乾電池を「空港なにわカメラ店」で購入した。

 税関を通過し、11番スポットで待機した。いつもは主に国内線スポットの内外で仕事している関係上、同じ空港内でも見る角度が違うと新鮮だ。カメラで飛行機や管制塔を数枚撮った。電話をかけたがあいにく留守番電話だった。

 アナウンスがあり日本航空のJA8142号機内へ向かった。座席番号は26Aで、ここのゾーンの前は外国の子供達で一杯だった。どこも似たような機内の案内があり、その内にドアーがクローズされ、ランプアウト(駐機場から外へ出す)のためプッシュ・バック(飛行機を専用の牽引車でタキシーウェイまで押し出すこと)が始まった。15時50分にはテイクオフし、しばらくはこれで大阪空港ともさよならで伊丹の風景がみるみる遠のいた。

 子供達の声は相変らず聞こえてはいたが、夜勤明けの睡魔が襲って来て 約1時間近く寝ていた。海から進入し、少し紅葉のまじった山林やまだまだ緑の多い田畑が続くと成田空港が見えはじめしばらくすると機体は着陸した。(1994年1月1日記す)

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