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(このページは、主に1986年2月22日のことを書いています)

お惣菜屋さんで朝食
 今日は、パリに向かう移動日だった。昨日で一応3空港の調査は、完了していたので、帰国後報告書を書かねばならなかったが、それ以外は気が楽だった。昼過ぎにまた、マーチン氏が出迎えてくださる予定なので、それまで市内見学とお土産買いの時間にあてることにした。朝食ということになり、今日は外でとることを、小林さんが提案された。

 ホテルから歩いて5分くらいの所にそう広くないもののお惣菜屋さんみたいな店があった。先客の方々は、各々サンドウィッチやサラダなどを選び席で食べる人、紙袋に入れてもらって持ち帰る人など様々だった。私たちも、各々適当に、サラダ、パン、フィレオフィッシュ、サンドウィッチなどを頼み、食べてみたところ、手頃な値段ながら、なかなかパクパクいける味でした。外に出てから「イギリスにしては、まあまあの味でしたかね」など話した。

リージェント通り
 市内見学の手始めに、繁華街に行くことにした。とりあえずは、日航のイギリス屋に行ってみようということで近くの通りをゆっくり歩きながら行った。日本語が通じるので、私も二、三質問したり、お土産を買われた人もいた。次に、リージェント通りをブラブラ「あそこには○○○の店、あっちには△△△店」と言うくらいに、けっこう有名ブティック店があった。

 私もお土産を買いたいと思い、アクアスキュータムの店で、小林さんに選んでもらってネクタイ2本(ネクタイ18ポンド)を買った。次に、バーバリーの店でマフラー(マフラー12.5ポンド)を購入した。この2店とも、さすがにおしゃれな店で、店内のレイアウトも、例えば丸いテーブルにずらりと並んで飾ってあるネクタイも、なかなかセンスあった。

 私たちは、この時けっこう色々な道をそぞろ歩きしたので、その時は分からなかったが後で調べてみたらリージェント通りだけでなく、オックスフォード通り、ハノーバー通り、ボンド通りなども見ていたようだ。特に、リージェント通りが中心だったが、この通り名はひとつの髪型の由来になったそうである。

 航空の専門誌を購入しようと言うことで本屋さんにも立ち寄った。面積の有効利用と思うが、天井の高さまで本棚があった。このような状態で目当ての本を探すとなると、なかなか至難のわざかもしれないと思ったが、お客さんはけっこう多かった。

タワーブリッジ
ロンドン市内観光
 待ち合わせの時間となり、マーチン氏の車でロンドン市内の観光に出かけることになった。車中の後部座席で私はビデオをまわしていたので、後日確認すれば、けっこう色んな場所をまわったのだなあと思った。主に行った場所は、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、テムズ河畔、ディケンズ・イン、イギリス国会議事堂、ウィエストミンスター寺院などだった。

 ロンドンと言えば、その昔の誰かが市内全体が「博物館のようだ」と評されたと聞いたことがあった。わずかな時間ではあったが、今回の市内観光は、「あの表現は、その通りだなあ」と実感した。ロンドン名物になっている2階建てバス、ロンドンタクシーも何十回も見たので、良く覚えた。

 ロンドン自体は世界有数の大都会なので、車も人もそれは多いに決まっているが、それにしても、ちょっと行くとそこかしこに緑や芝生の広場のあることも分かった。特に、私が行ったのは真冬なのに青々とした芝生の色には驚いた。聞くと、この芝生は日本に多いタイプと違い麦の一緒だとか。

タワーブリッジとテムズ河畔
 マーチンさんの車は、イギリスが造船で世界トップクラスの頃のドッグ(造船所)跡などを見ながら、進んで行った。さらにテムズ河畔に来たところで、私達は降りてあるくことにした。後で行くことになったディケンズ・インの前を素通りして、川岸に行った。ここからゆっくりゆっくり、ビデオを回すことにし、まず、目に入ってきたのは、タワーブリッジだった。

 このタワーブリッジは、たいていの方が知っておられるようなロンドンの観光名所です。改めてビデオのレンズから見ると、左右に大きな塔があり、当然ながら中央には道路が通り、頻繁に車も行き来していた。この橋の下を大型船が航行する時、橋が二つに跳ね上がると言うシーンは残念ながら、この短時間では見れなかった。

 この橋は、その独特のデザインと言い、跳開式と言う珍しさもありますが、1894年完成から今日までずっと現役で使われているのには、ちょっとした驚きであった。タワーブリッジ全体、なかなかテムズ川に映えていて、しばし見ていた。

 あと、マーチンさんの説明によると、南極探検隊長として活躍したスコットの船が係留されていた。あと、真冬のためか、川の表面が凍っているとこもあり、そこには雪も数センチ積んでいるようだった。

ディケンズ・イン
ディケンズ・イン
 体も冷えてきたので、旅籠風のだったディケンズ・インに入ることにした。このディケンズ・インは、まわりの雰囲気含めて小林さんが最も気に入られた建物で盛んに「ここは絵になるね。こんな雰囲気は絵になるよ」との発言が繰り返しあった。

 写真でもお分かりの通り、テラスが各階にあり、そこには花や緑もあった。(今回は冬のため、夏季は想像するしかないが、たぶんに花咲き乱れるテラスになるのかもしれない)建物自体も、木造のかなり大きなつくりであった。

 階段を登っていくと、中はパブ、レストランだった。「イヤー、外観も良かったですが、中もいいですね」と口々に出ていた。パブにきた以上、体を中から暖める必要性もあり、スコッチウィスキーを4人とも注文した。

 ただ、マーチンさんは運転手なのでどうだろうかと思っていたが、けっこうグイグイと言う感じだった。このような寒い日に飲むからか、はたまた、本場のスコッチウィスキーからなのか、香りのいいストレートはなかなかいいものだった。この建物、今まで見て来た所など話は尽きなかった。

ロンドン塔
ロンドン塔
 ディケンズ・インを出て、次にロンドン塔に向かった。このロンドン塔(The Tower of London)は、11世紀ウィリアム征服王によって築かれ、その後幾度となく増改築がなされたと言う。

 名前のロンドン塔というイメージから、「塔」の集まりかと思ったら、城壁が囲んでいるお城そのものだった。堀みたいな芝生も、ぐるりとあった。

 ここは、一時期国王の居城だったこともあるが、それよりも王室の者が幽閉されたり、処刑されたりした所で有名なようだ。説明役のマーチンさんも「ここは、ちょっと恐い所だ」みたいに言われたのが、印象に残った。

 ただ、今回はビデオ担当だが、いつもは下手の横好き素人カメラマンとしては、このお城は、なかなか撮りたいなあ思わせる雰囲気があり、さすが英国の歴史を刻んで来た所だとも思った。私たちは時間の関係上、さっとぐるりを見る感じで立ち去った。

ホース・ガーズ
ホース・ガーズ

 車はロンドンの中心地、心臓部と言うべき首相官邸や官庁街などの大通りを走行していた。小林さんやマーチンさんが、あそこはどこそこみたいな会話が次々と交わされていたが、直ぐに通り過ぎて行って、なかなか印象に残らなかった。

 しばらくして駐車し、道路反対側にガイドブックか何かで見た覚えの騎馬兵が左右に立つ建物があった。ここは後で知ったのだが、ホース・ガーズであった。良くは知らないが、ここから騎馬兵の交代時、隊列を組んで行進するみたいだった。

 「おー、これはロンドンらしい、なかなかの記念になる」と思い、お互い代わるがわる写真を撮りあった。私たちが近づいても、兵隊も馬も毎日慣れたものなのか、ほとんど動かず、大人しかった。「サンキュー」など言いながら、ここを後にした。

バッキンガム宮殿
 
ロンドン最大の観光地とも言われているバッキンガム宮殿に行くことにした。ここは衛兵の交代などで日本にも有名だが、時間帯が合わなかったので、そのシーンは見れなかった。金色に輝くヴィクトリア女王記念碑や宮殿をゆっくり見ながら、写真を撮ったり、ビデオをまわしたりしていた。

 宮殿の近くにセントジェームスパークがあり、そこまで歩きながらビデをまわしていると、「ハロー」、「ハロー」と若い男女のグループに声かけられ、こちらも調子に乗って「ヤー、ヤー」と返事していた。バッキンガム宮殿と言えば英国王室の敷地ではあるのだが、まあ、観光地にもなっているし、なんか開かれた親しみやすい雰囲気だなあと思った。

国会議事堂やウェストミンスター寺院(ウェストミンスター・アビー)
 
総て車移動のため、早すぎてどこを今走行しているのか分からない時もあったが、歩いたり、ビデオを回したところだけは覚えがあり、間違いなく国会議事堂、ウェストミンスター寺院(ウェストミンスター・アビー)周辺にも行って写真も収めた。寺院の彫刻などは、手の込んだ作りで、案内役のマーチンさんも少し自慢げに「ここは良く見てくれ」みたいに言っておられた。

国会議事堂周辺
 国会議事堂やその他の建物によっては、ところどころに鉄のパイプが櫓のように組んであった。質問すると、それは「建物の洗浄中」とのことであった。車中でもそのことに話題が移り排気ガスなどで汚れた建物は、何十年かおきにクリーニングするとのことであった。元々石材で建物はできているため、洗浄さえすれば綺麗になるとのことであった。なるほど、洗い終わった壁は、そこだけ白っぽくなっていた。石材自体も材質のいいのを使っているのかもしれなかった。

パリに向けて
 ロンドン観光は、もっと見たい所がたくさんあったが、次のパリに向かう時間の関係上、ヒースロー空港に車は走った。このロンドン滞在中、ずっとお世話になったマーチンさんにお礼と再会を言ってターミナルビルで分かれた。

 出発前にロービー内を歩いていると見慣れた一団がいた。そうそれは、ローマからロンドンに来る時、一緒にアリタリア航空に乗り合わせた日本の女子大生グループだった。

 「あれー、また、合ったね」と声かけると、「あの時はお世話になりました」との返事があった。「ゆっくりしたヨーロッパ旅行かねえ?」と尋ねると、「いえいえ、学生の貧乏旅行ですよ」との答えがあった。分かれた後「貧乏ではこのヨーロッパ半周はできないでしょう。学生も良くなったねえ」との話しが続いた。エールフランス819便は、19時40分テイクオフした。

また、来たよ
 シャルル・ド・ゴール空港には、21時15分に着陸して、前回ローマに行く前まで泊まった同じホテルにタクシーで向かった。高速道路から降り、パリ市街地に入って行くにつれ、夜間照明ながらちょっとだけ見覚えのある建物も分かった。オペラ座の近くまで来ると、さらにホテルに近づいたことを実感した。

 『HOTEL EXCELSIOR OPERA』(ホテル・エクセルシオール・オペラ)のホテルマンと「また、来たよ。お世話になるね」みたいな会話を済ませ、部屋に入った。ロンドン観光やフライトなどの疲れもあり、いつもより口数少なく、お互いベッドにもぐりこんだ。

(旅行記原稿作成日:1988年10月1日、ホームページ掲載日:2005年11月12日)


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