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パリの美術館ルーブル美術館
名前  ルーブル美術館(Musee du Louvre)
開館年  1793年
場所  地下鉄ルーブル駅から
開館時間
などの情報
 変更もあるので下記を参照下さい。
リンク先  Musee du Louvre(フランス語版)
 Musee du Louvre(日本語版)

世界最大級美術館
 私は、このルーブル美術館には今まで2回(1986年2月16日『ヨーロッパ3空港調査旅行記』と1996年9月4日『ローマ・パリ旅行記』)行きました。まず、第一印象は、とにかく「大きいなあ」でした。ルーブル美術館を形容する時に決まって使われているのが、”世界最大級美術館”、”パリ最大の建築物”などと当時聞きました。

 この旅行時の資料には、廊下の長さだけでも総延長7qと言う長大なものと案内されていました。この館内には30万点以上の絵画や彫刻などの美術品、調度品などが展示してあり、1年間の見学者は全世界から約300万人以上とのことでした。

ルーブル美術館、ガラスのピラミッド
(ナポレオンの中庭)
カルーゼルの凱旋門(奥がチュルリー公園)
逆さピラミッド、地下エントランス
(大村市内在住Nさんからの提供)
モナリザ (絵葉書より)

  その後、このような形容詞や見学者数は変わったり、その座から変化したかもしれませんが、基本は今でも、ほぼ同じだと推測しています。ルーブル美術館は、美術館として使われる前は歴代王の宮殿でした。また、建物自体が歴史的建造物であり、世界遺産『パリのセーヌ河岸』です。

 後でも色々と、この建物の大きさについて触れますが、1986年2月に始めて入館した時は、どこから見ていいのか、はたまたガイドブックや案内チラシを見ながら歩いていても、今どこに立っているのか分からない様な状況だったのを覚えています。

 さらに外に出てルーブル美術館の建物全体をビデオで撮ろうと一番ワイドのレンズ位置にしてもファインダーの中に収まりきれなかったこともありました。まあ、とにかくパリに来て最初に、この美術館を見た結果、これが物差しになってしまい、後で少々大きいビルや建造物を見ても驚かないようになってしまいました。

 あと、ルーブル美術館中庭からすれば真横の位置になりますが、近くにカルーゼルの凱旋門と、さらにその横にチュルリー公園があります。美術館に入館しなくても、この横一列の散策コースはなかなか良くて、私達が早朝行った時には、丁度朝日に輝くカルーゼルの凱旋門が浮き上がっているようにも見えました。

駅から美術館
  私の別の項目の「聞いた言葉」シリーズの第69回目の「パリは見なくてもルーブルは見るべし」 にも書いていますが、その言葉の通り、パリで観光旅行するならイの一番に見たい所でした。パリの地下鉄は、全部の路線や駅に行ったことは当然ありませんが、どちらかと言えば暗くて、汚いイメージを持ったものですが、この美術館近くのルーブル駅は、そうではありませんでした。

 最初、私はクリニュアン・クール駅からシャトレ駅経由でルーブル駅に着きましたが、驚いたことに、このルーブル駅は今までの他の駅と全然違っていました。ここだけは小綺麗で壁にはめ込まれている駅名プレートも他の駅が青地で白色でしたが、ここは黒地に白色製で、通路や壁の所々に彫刻などが置いてありました。同行の皆で「駅からルーブル美術館みたいですね」と言い合ったものです。

 あと、もう一つ驚いたには何らかの理由があったのか(たまたま、日曜日であったためか)私が最初にルーブル美術館に行った時は、入場料が無料でした。「えっ、このような美術館が無料ですか?」と言いながら皆で入ったのを覚えています。

ガラスのピラミッド
  入館と言えば現在は、(ナポレオンの中庭に建てられた)ガラスのピラミッドが有名ですが、この近くの下当たりにある逆さまなピラミッドも最初見た時、「何か意味があるのかなあ」と言いながら見に行きました。この時の第一印象は表現がしにくいのですが、ただ単純に上の方に目がいき自然光線がいっぱい入ってくる感じに見えました。

 ただ、当時は極普通にガラス板の集まりとしか思えず、そう長い時間この場所にはいませんでした。しかし、このガラスのピラミッドをさらに有名した映画ダヴィンチ・コード(2006年5月20日封切り)を見た時、夜の撮影だった影響もあったのか「あれー、夜はこんないい雰囲気に見えるのか」と思いました。 映像の表現力と言うのでしょうか、やはり、同じガラスのピラミッドを見ても、こうまで違うのかと言う印象を改めてしました。

 ただし、このガラスのピラミッドを見ながら映画の主人公が「素晴らしい」と言えば、相手役(警部役)は「パリの顔の傷です」と返事していました。それ以外にも逆ピラミッドの場面では「幾何学的な対象美」とか様々なことが語られていました。あと、また映画では何回も、このガラスのピラミッドは登場し、まるで謎解きみたいな場所にもなりますが、いずれにしてもガラスのピラミッドは、この映画で良く登場していました。

モナリザ(Mona Lisa , La Joconde , La Gioconda)
 私は、レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)作「のモナリザの絵だけはルーブル美術館に入るたびに毎回見学しました。一番最初に見た1986年2月当時も確かに、この絵の回りには人が幾重にも取り囲んでいて見学者は多かったのですが、それでも現在よりはノンビリした感じで人を掻き分けて前に進むと見れる状態でした。

 第一印象、「あれー、思っていたより小さいなあ」と言う感じでした。モナリザの絵の大きさは(英語版サイトで確認すると)縦77cm ×横 53 cmあります。ですから決して極めて小さいと言うものではないのですが、やはり学校時代から習って、その後も美術の本などで頭に焼きついた印象、先入観からか、実物を始めて見てそう思いました。

 それと経年変化もあるのか、色彩が自分が思っていた色より、やや暗い感じがしました。これも教科書や美術の本などでは印刷前に色彩・色調補正して実物よりは明るい色に整えられていたからではないでしょうか。(このページ掲載のモナリザ写真は、ルーブル美術館で販売されている絵葉書をサイズとメモリーだけ調整したものです)

 モナリザの絵は、「世界一有名な絵で、世界一謎の多い絵」とも称されています。私も、このような謎には興味があり本に書いてあったことをいくつか覚えていましたので同行者の方に「この左右の地平線の高さが違うでしょう。この手はまだ未完成のままだったみたい」と、なぜそうなっているのか肝心なことは知らないくせに説明していました。また、それに応じるかのように「上野君、肩幅が広い印象があったが着ている服がふんわりしているから、そう見えたんだなあ」と言う返事もありました。

 モナリザのモデルと言えば、これも長年の謎で様々な説がありましたが今年(2008年)1月14日ドイツのハイデルベルク大学図書館が「イタリア・フィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ(リザ・デル・ジョコンド)であることを裏付ける証拠を見つけた」との発表が世界を駆け巡りました。

 制作開始年も諸説あるようですが、1503年頃からのようです。モナリザと同じフロアーにありながら入館者にはあまり見て頂けない絵もある中で、「謎の微笑」含めて世界中で話題になる、映画にも登場する、ある意味”幸せな絵”でもあるような気もします。

 あと”モナリザの謎”と言えば私個人としては「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチが長年描き続け、息を引き取るまで手放さなかった絵と言われている以上、(映画ダヴィンチコードの影響を受けたかもしれませんが)何か謎めいたことが、この絵にはあると思いたいです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは映画か、それ以上にこの絵に今までの「常識」や従来の世界史に波紋を広げるようなことを描き加えているのではないかと考えたいです。また、「謎は、なぞのまま」が、かえって色々と想像出来てそれもいいのかなあとも思っています。

ダヴィッド作、ナポレオンの戴冠式
サモトラケのニケ(勝利の女神像)
ミロのビーナス

ナポレオンの戴冠式
 ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)と言う名前は「誰だ?」という方でも学校の世界史や美術の教科書で「ナポレオンの絵、特に戴冠式や馬に乗ってアルプス越えの場面を描いた画家」と言えば良くご存じだと思います。(この『ナポレオンの戴冠式』の絵は大きなサイズが見やすいと思いますので『フリー百科事典『ウィキペディア』の画像も、ここからご覧下さい)

 このナポレオンの戴冠式の第一印象は、壁一面を埋め尽くすような大きさ(6m21cm x 9m79cm )で驚きました。先ほどのモナリザの絵と比べても単純計算ながら約148倍で(日本流にするとタタミ約18畳分=3DK位)の大きさでした。ただし、この広さでもルーブルでは2番目で、1番目の大きさを誇る絵(6m60cmx 9m90cm)はパオロ・ベロネーゼ(Paolo Veronese)作の『カナの婚礼』です。

 私は、戴冠式の絵の前で中型カメラを取り出し、主に中心部を撮りました。この当時、照明の関係もあるのか、けっこう色彩も明るい色に撮れました。素人カメラマンの自己満足ですが、館内写真の中では一番のお気に入りです。

 あと、絵の大きさの印象だけでなく、最初やはり中央部にひざまずいて皇后の冠を載せてもらおうとしているジョセフィーヌの顔に目がいきましたが、かなり若くて美人に描かれていました。さらには、皇后の服を後ろで持っているような女官たちの動きあるポーズや、この儀式のためローマから引っ張りだされた教皇ピウス7世の、やや不機嫌そうな顔など(史実通りかどうかは脇において)ノートルダム寺院内の一瞬をとらえた場面は、さすがだなあと思いました。

 また、1996年9月旅行時、同行の甥姪などに「同じダヴィッド作で同じような絵がベルサイユ宮殿にもあったね。両方の絵とも史実と違う所があり、それはナポレオンのお母さんが戴冠式に出ていないのに、この絵には描かれている。理由はお母さんがナポレオンの嫁さんであるジョセフィーヌを嫌っていたから。でも、ナポレオンはお母さんも描いてもらいたかったんだろうなあ」などと説明していました。

 たとえ巨大な絵とはいえ「1枚の絵じゃないか」と言えばそれまでですが、この絵は他の絵と比べても私のような素人にも分かりやすい情景なので、かえって様々な想像ができるものでした。

サモトラケのニケ(勝利の女神像=Victoire de Samothrace)
 ルーブル美術館には、たくさんの彫刻・彫像もありました。そのような中で、まずはサモトラケのニケ(勝利の女神像)です。この像は、階段の踊り場みたいな感じの所にあったと思います。

 私は、色々な方向から見てみましたが、どちらかと言うと下から仰ぎ見るような角度が良かったです。まるで、今から飛び立つような、そんな躍動感と清々しさをを感じました。置いてある場所自体、天井は高いし、周囲の空間も広いのですが、このサモトラケのニケの彫像は、ある種の存在感がありました。

 あと、後日フランス語版ホームページやフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを見てサモトラケのニケ・勝利の女神像の意味など少しだけですが分かりました。 この像はエーゲ海のサモトラケ島で発見されたこと。「ニケ」の言葉自体が「勝利の女神」という意味があること。さらにはスポーツ用品メーカーで有名なナイキ(NIKE)の名前はこのニケからきていて、あの翼を広げたようなデザインも、この像の翼をモデルにしていることなどです。

 いずれにしても、2000年以上も前に、このような独創的な彫像を作成した制作者とギリシャ文明は、やはり「素晴らしい」の声以外になにもありませんでした。

ミロのビーナス
 サモトラケのニケなどを見た後、次ぎのフロアーに行くと今までより人だかりが多く、その彫像が『ミロのビーナス』だと分かりました。ただ、世界の宝と言っても過言ではない、このビーナスがドーンと台座の上に置いてあることには正直驚きました。警備もモナリザほどではなく、しかも地震対策などどこにしてあるのか分からないような、もしも地震あったら倒れるのではと思える、そんな置き方でした。

 まわりにある案内板を見ると『ミロのビーナス』の「両手がもしも付いていればこうなるのではないか?」と言う説がいくつも描いてありました。私は2回このミロのビーナスを見ましたが、2回とも大勢の見学者があり、絶好のシャッターチャンスがありませんでした。こんな人気の作品の前では、それは難しい注文だったかもしれません。

 あと、このミロのビーナスを見て、私個人の勝手な想像ですが、先ほどのサモトラケのニケ(勝利の女神像)に首から以上の顔や頭があったら、多分このミロのビーナスのようなものだったろうなあと思いました。後で私は、このミロのビーナスの絵葉書を購入しましたが、背景色を濃い青色にしているためか、大理石とのコントラストから彫像がくっきり見えて、なかなかいいものでした。

ハンムラビ法典

ハンムラビ法典
  同行の 甥姪が(1996年当時)大学の法学部と言うことで、「ハンムラビ法典の石碑を見に行こう」と言うことになりました。しかし、この石碑が、どこにあるのか、分からず似たような場所を行ったり来たりしながら、20分くらいウロウロしました。やっと見つけて「なんだあ、こんな所にあったのか」と皆で言ってました。

 歴史の教科書でも写真付きで、このハンムラビ法典は紹介されていますが(当たり前と言えばそれまでですが)そのままあるのだなあと思いました。石碑の頭部は左のハンムラビ王が右の座っている神様から法典を授かっているところと言われています。

 その下にビッシリと法律条文が楔形文字(くさびがたもじ)で彫られていました。楔形文字などの意味など全く分からず、ただ見ただけですがそれにしても、約4千年前、石にこんなに精巧精緻(せいこうせいち)に王たちの模様や文字が刻まれているとは。人の巧みの技は改めて素晴らしいなあと感心しました。

 ハンムラビ法典と言えば「目には目を、歯には歯を」など有名な条文があり、一見「やられたら、やりかえせ!」と復讐を推奨している怖そうな感じに聞こえます。でも、この法律はむしろ、やられた方が”事件直後”当然報復の念が強くなるので、この条文に即して「この程度で抑えよ!」と言う意味があるそうです。 まあ、そう言われれば(この通り実施されたかどうかは別として)お互いに一つの公平な尺度だったのかもしれません。

 後で、このハンムラビ法典の絵葉書も買いましたが、グレー地に石碑全体が写っているもので、分かりやすい写真だなあと思いました。私は、色々な法律論は別としても、先に書きました通り、この石碑の彫刻技術に敬服しつつ、この部屋を後にしました。

絵葉書と本
 パリの美術館に限らず日本国内でも美術館内の展示品を見た後のささやかな私の楽しみは、そこで購入するお土産です。展示されている絵のポスターや絵葉書などは言うに及ばず、美術館によってはボールペン、キーホルダー、時計、手工芸品、お菓子、バッグ類その他、まるで空港か駅のお土産店かと思うほどで芸術だけではなく、なかなか商魂たくましい美術館も見てきました。

 私は、ルーブル美術館地下の売店フロアーも、けっこうグルグル回りましたが、結局はそこそこの値段で手に出来る絵葉書、ポスターやガイドブック類が毎回多かったような気がします。中でもお気に入りは絵葉書で印刷技術もいいのか、「ここの美術館はハガキ類にも力いれているなあ」と実感できました。しかも、何百種類あるのか分かりませんが有名どころの絵や彫像などは大抵ありましたので、逆に選ぶのに苦労しました。

2008年1月2日、朝のルーブル美術館とその前の通り
(大村市内在住Nさんからの提供)

 あと、もう一つは本(ルーブル美術館や絵のガイドブック)で、しかも日本語版です。私は最初フランス語版を手にしていましたが、ざっと見たところ日本語版でも写真も内容もあまり変わらない感じがしたので、こちらにしました。「パリまで来て日本語の本を買わなくても国内でも購入できるのでは?」とのご指摘があれば、その通りです。ただ、この種の本はどこにいても直ぐ手に入らないものですし、このようなホームページなどを作成する時に大変便利です。

ルーブル美術館の外観と周辺
 このページ冒頭にも書きましたので、やや繰り返しになりますが、ルーブル美術館それ自体が世界遺産ですし、建物も何とも云われぬ風格があります。それに、セーヌ河畔側からもチュルリー公園側からも、しばらくゆったり見たくなるような、写真を何十枚も撮りたくなるような気分がしました。

 あと、セーヌ河畔の反対側に位置するリヴォリ通りも良く歩きました。この通りは、ルーブル美術館との関係もあるのか画商・画材店を始め、たくさんの土産品店などがあり、私も出たり入ったりしました。

 また、最初このリヴォリ通りを歩いた時に同行者から「あそこにジャンヌ・ダルクがあるよ」と教えられ、見てみるとそれはピラミッド広場に立つ金色の騎馬像でした。青銅色の彫像は色々とパリ各所で見たような気がしましたが、このような金ピカの像は初めてだったので、「えー、あれがジャンヌ・ダルクの像ですか?」と、やや怪訝な感じでした。

 最後に、私は残念ながら夜のルーブル美術館周辺は散策していませんが、いくつかの写真を見ますとガラスのピラミッドを中心に夜景も素晴らしいみたいで機会あればシャッター押したいと思っています。ルーブル美術館は、機会あれば、また行ってみたいです。

2005年1月2日夜、ガラスのピラミッド
(大村市内在住Nさんからの提供)

ガラスのピラミッド夜景
 ルーブル美術館やガラスのピラミッド夜景の写真を大村市在住のNさんから頂きましたので、今回掲載します。既にガラスのピラミッドについては先に触れていますが、さらに補足も含めて概要を書きます。

 私の全然出来ないフランス語直訳では参考にもなりませんが、このピラミッドの高さは約21.6メートル、四辺の一つの長さが約35メートルあるようです。(ただし、正確な数字ではありません)設計されたのは、中国系アメリカ人建築家のイオ・ミン・ペイ氏(I.M.Pei)のようです。

 このガラスのピラミッドは1989年に造られ、その当時は「古くからあるルーブルに、このようなガラスのピラミッドを建てるのか」とか「パリには似合わない」など、景観や建物自体についても、かなりの論争があったようです。

 でも、現在では、すっかり”ルーブルの顔”みたいになり、映画ダヴィンチ・コードでは、ここも直接の舞台として夜間シーンが何回も登場し、さらに有名となり世界中に、このピラミッドが定着した感があります。私は映画と写真でしか夜景を見ていませんが、夜の灯りに照らされたピラミッドも、なかなかいいなあと思いました。

 景観論争と言えば、あのエッフェル塔(1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造)も、当時フランス中を巻き込んだような議論があったみたいですが、今では世界中の人が知っているパリ名所となっています。

 パリを評する時「変わっていないようで変わっているパリ」とも言われています。世界遺産にもなるようなルーブル美術館(元宮殿)と、新進のガラスのピラミッドと、最初不釣り合いとも思えるような景観が一緒に街の風景に溶け込んでいく不思議さ、何かこのようなところがパリがパリらしいのでしょうか。

(初回掲載日:2008年1月19日、第2次掲載日:1月26日、第3次掲載日:1月28日、第4次掲載日:1月31日
第5次掲載日:2月2日、第6次掲載日:2月4日、第7次掲載日:2月5日、第7次掲載日:2月26日)

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