バルセロナ、サン・ジャウマ広場、タパス料理など
2015年12月21日(スペイン時間)
前ページ「カタルーニャ音楽堂、モデルニスモ建築など」には、世界遺産の建築で有名なカタルーニャ音楽堂の外観見学と、19世紀末に流行ったモデルニスモ建築などについて書いています。今回のページは、昼食を食べるついでみたいにして立ち寄ったサン・ジャウマ広場の感想や、昼食で食べたタパス料理などを中心に書こうと思っています。
サン・ジャウマ広場 (Placa de Sant Jaume)
私たち3人は、カタルーニャ音楽堂から次の観光地へ、来た道を逆に行く感じで、サンタ・エウラリア大聖堂周辺を散策して歩きました。古い通りを歩きながら15分もしない内に、サン・ジャウマ広場へ着きました。私の先入観で、この広場は何か、例えばオベリスクとか大きな記念碑があるのかなあと思ったのですが、そうではありませんでした。
このサン・ジャウマ広場は、分かりやすく言いますと、カタルーニャ自治政府庁舎やバルセロナ市庁舎などに囲まれた何もない(舗装された)やや長四角の広場でした。目測ながら、南北方向に60m弱、東西方向に40m弱の広さでした。そして、広場の名称になっています「サン・ジャウマ」とは、元この周辺に同名の教会があったことに由来しているようです。
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(写真3) サン・ジャウマ広場(何かの飾りか。後方:カイシャ銀行)
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(写真4) バルセロナ市庁舎(写真中央上部に時計あり) |
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(写真5) (市庁舎の玄関左側にある)ハイメ1世の像
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(写真6) タパフィーナ店のタパス料理 |
さらに言えば、この広場周辺は、古代ローマ時代からバルセロナの中心地だったようです。ですから、現在も、先の二つの役所もあるのだと思います。なお、私の記憶曖昧さもありますが、この広場や道路を除けば、半径300m位の範囲内は、古い建物やビルばかりだったようでした。
この広場中心地から見て、左側(北西側)方向にカタルーニャ自治政府庁舎(Palau de la Generalitat de Catalunya)、右側(南東側)方向にバルセロナ市庁舎( La casa de la ciutat Barcelona)がありました。
・カタルーニャ自治政府庁舎(Palau de la Generalitat de Catalunya)
(写真1、2を参照) このカタルーニャ自治政府庁舎は、読んで字のごとく、スペイン、カタルーニャ州政府の庁舎です。(写真1)では分かりにくいかと思いますが、庁舎屋上の左側にスペイン国旗、右側にカタルーニャの旗がありました。
・サン・ジョルディの日(「本の日」の由来)
あと、(写真2)に写っているのは、カタルーニャの守護聖人サン・ジョルディ(Sant Jordi)の彫像です。私は、この名称は知らなかったのですが、「本の日」とか「世界図書・著作権デー」(国連のユネスコが制定)は、ほんの少しだけ雑誌などで見たことがありました。
その由来が、このサン・ジョルディの祝日(毎年4月23日)に由来しているとは、全く知りませんでした。この日は、昔からスペインなどでは、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る習慣があるそうです。
・バルセロナ市庁舎( La casa de la ciutat Barcelona)
(写真4、5を参照) この写真に写っているのは、バルセロナ市庁舎です。目印としては、日本流数え方で2、3階部分に大きな4本の柱と、3階上部付近に大きな時計があることです。
そして、(写真5)の右側が市庁舎の正面玄関で、入口に警察官とおぼしき二人が立っていました。警戒厳重です。そして、その左側に全体高で3m弱はありそうなハイメ1世の彫像がありました。このハイメ1世については、次の<>内のブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説を参照願います。
<ハイメ1世(征服王、 Jaime I, el Conquistador、1208.2.2.〜 1276.7.27.) バレンシア アラゴン王 (在位 1213〜76) 。ペドロ2世の子。 1229〜32年バレアレス諸島,35〜45年バレンシアをムーア人の支配から解放し,次いでムルシアの征服に着手。 66年西方から国土回復運動を進めてきたカスティリアがムルシアを併合したので,ここに東西からのスペイン国土回復運動が合一した。>
この市庁舎の左側(北東側)には、Caixa Bank(カイシャ銀行)があり、そこの壁にも彫像がいくつかありました。残念ながら、(写真4)の左端側に、ほんの一部しか写っていませんでした。
次の昼食の関係上、10分もサン・ジャウマ広場にはいなかったのですが、なかなか興味ある周辺部の建物でした。そして、改めて思ったのですが、ここは日本で言えば官庁街でしょうが、このように歴史あり、彫像ありの風景は、我が国にはないなあと。いくらバルセロナの中心地とはいえ、なにもない広場に観光客が押し寄せるのは、やはり周囲の建物、彫像、雰囲気などが一体となっているからだと実感しました。
昼食はタパス料理(tapas)
13時過ぎ、足早のサン・ジャウマ広場の見学も終え、昼食はガイドさんに教えて頂いた店に行こうということになりました。広場から北東側へ延びるジャウメ通りを歩きました。この通りも、古い建物や店もあり、けっして細くはなかったですが、路地裏風の雰囲気もありました。
先の広場から130m位歩きますと、右側(東側)に、玄関上部にタパフィーナ(tapafina)という文字やイラストが描いてある丸い看板のある店がありました。ここが、今日の昼食をとる店です。この店の住所は、ライエタナ大通り23番地にあるようでした。
店内に入りますと、まずカウンターの上やガラスケース内に、一杯並んだタパス料理が目に入りました。ここで、タパス料理についてです。国語辞典の大辞泉には、至極簡単に「タパス(〈スペイン〉tapas)=酒のつまみ」と解説してあります。
ただし、この「タパス(tapas)」という言葉は、先の辞典以上に幅広く、種々様々な用語のようです。由来、語源も色々とあり、さらには料理そのものも多くの種類があるようです。また、例えばバロセロナで「ちょっとタパスに行こう」となると、日本ならば「ちょっと居酒屋に行こう」と同意語みたいにも使える便利な言葉のようです。
ここの店内は、そう広くはなくて、私たちは5〜6人は座れそうなテーブル席に着きました。そして、店員さんへ、タパス料理、ビール、コーラ、ジュースなどを注文しました。私は、料理が来る前に、店外で(写真7)などを撮りました。そうこうする内に、店員さんから出された料理(写真6参照)は、日本人の舌にも合う感じの味でした。
しかし、そこはあくまでも先の国語辞典にあるような「酒のつまみ」ですから、本格的な料理とはいかないと思いました。まあ、私たちもしたようにビールなどの飲み物に合わせて、今日行った観光地や、これから行く予定地などを楽しく話しながら、つまむ物と思えばいいのではないでしょうか。でも、お腹いっぱい食べましたし、後で会計したところ合計63.69ユーロでしたので、まあまあ料金になったようでした。
データ整理しながら早目の就寝
先のタパフィーナ店を出た後、私たちはライエタナ大通りを歩きました。この通りの南西側=サンタ・エウラリア大聖堂周辺は、古代ローマ時代の建築ではないかと思われる建物や壁が、見えていました。そして、いつの間にか私たちが泊まっているホテル近くのパン屋、La FLECA de TOTS店の前に来ていました。ここで、夕食用のパン、肉、総菜、コーヒーなどを買いました。
そして、ホテルに戻り、ゆっくり休憩しながらiPadで、写真データの整理や今日まわった観光地情報などを書き留めました。夕食を食べ、風呂にも入ると、明日に備えて早目の就寝となりました。
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(写真7) タパフィーナ店の玄関 |
(写真8) タパフィーナ店のカウンターとワイン棚 |
(掲載日:2016年12月5日)
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(旅行メモ)
2015年12月21日(スペイン時間) バルセロナ(Barcelona)、 サン・ジャウマ広場 (Placa de Sant Jaume)
12時20分、サンタ・エウラリア大聖堂前のクリスマス市を見学
12時30分、カタルーニャ音楽堂の外観の見学
12時45分、音楽堂のカフェテリア前で記念撮影、ツアーの解散
13時05分、サン・ジャウマ広場(カタルーニャ自治州庁舎とバルセロナ市庁舎)周辺の散策
13時10分、ジャウメ通りとビア・ライエタナ通りが交差する所にあるタパフィーナ店に入る
13時45分、タパフィーナ店でタパス料理を食べて会計
16時00分、ホテル近くのパン屋で夕食の購入
16時20分、ホテルに戻る
17時30分、夕食、メモ記入など
21時00分、就寝
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